歴史から学ぶ

今、読んでいる本「ドキュメント太平洋戦争への道」からの抜粋です。

自分のことを言われた気がして、
電車の中で顔を赤らめてしまいました。
自戒を込めて、ブログにアップします。

—抜粋—
近頃でも「歴史は繰り返す」とか「歴史に学ぶ」とか、
やたら偉そうにいう人がいる。そんな安易な言い草を
耳にするたび、泉で耳を洗い清めたくなる。歴史はそ
のまま繰り返しはしないし、学ぶことなど、よっぽど
カッと目を見開いてみたところで、歴史を忘れた日本
人にはできはしない。似ているようでも、条件を厳し
くつき詰めれば、全く似てはいない。要するに、1つ
の歴史的事実を現在にあてはめて、お手軽な教訓を引
き出そうなどと考えることは、よっぽど傲慢か、思い
すぎでしかない。

P.S
逆にそうだからこそ、安易な当てはめではなく、
歴史から、より本質的なものを学ばないといけない気がします。
それを何に求めるかは人それぞれでしょうが、
私は”ひとりひとりが考える” ことに求めたいと思います。
歴史的に見て、”個人が考えることを放棄した時代”に、
ロクな時代がなかったと思えるからです。
個人から考えることを奪う動きや仕組みに対しては、
自分なりに抗っていくつもりです。
何をするんだと言われれば、答えに窮しますが^^;

今日のお昼のお話

そして、今日もある牛丼屋へ向かった。
そこは、ちょうど今、社員が入れ替わっているらしく、これまでに見ない(平均で週3回は行っている)顔の人が最近働いている。
年はおそらく、私と同じ(24歳)ぐらいの人が、新たに店長をやっていた。

手つきの悪さから、バイト上がりではなく、就職活動を通して社員になった人で、店長として店に配属させたのだと思うが、
その人が、私を含め、店にいた客全員(4人ぐらい)に水を出し忘れていた。

しばらくして、私は思わず「すみません。お冷もらえます」と言ったが、悪びれた様子も無く、私にだけ水をだしてくれた。
それから、他の客も同様に水を求めたのだが、店長さんは、さも言われたら出すのが当たり前のような様子でそれぞれに水を出していた。
しかし、次に入ってきた客には、ちゃんと水を出していた。

忘れていたなら「すみません」といって全員に水を出せば解決するのに、自分のミスをごまかして、次からちゃんとする
というのは今の若い人(自分も含む)に多いと思う。
私も、自分だけが自分のミスに気付いたときは、周りを見て、やり過ごせそうなら、そのままやり過ごしたこともある。
それではダメだとわかっていてもそうしてしまう。

「自分のミスを人に気付かれたくない。それによって、自分のミスを改めて自分で認めたくない」というプライドのようなものがそうさせているのだと思う。まあ、ミスの種類にもよるが。
ただ、そうやってミスを隠すことのかっこ悪さを今日知ってしまった。
でもまあ、自分で隠せるミスはやっぱり隠そうとすると思う・・・。情けないが。

パーマかけました。

パーマかけました!
くるんくるんって。
ストパーや矯正が当たり前になるまでは『ストレートでいいなぁ…』と言われる髪だったので、くるんくるんは初めて!
くるんくるんです。くるんくるん(しつこい。。。)
もうちょっと緩い方がいいけど、時間が経てば必然的になるはず!
真っ黒なので少し染めようかな~とも思ったのですが、お金が無いので断念(・・;)
黒髪パーマってちょっと天パっぽいかしら?
あ~ぁ、それにしても、明日から自分で髪形整えられるか、不安だわ…

どう?見た目年齢上がってる???

文字の流行

私たちは、普段色々な言葉を使って会話をしていますが、その言葉にも流行り廃りというものがたくさんあります。
先日、とある辞典では「ウルトラマン」という言葉が姿を消した、という記事を目にしました。
かなり時代は下りますが、「モーレツ」や「モガ・モボ」などもこの類に入るのではないでしょうか。
今では「そんなの関係ねぇ!」という言葉ですら、早くも廃りの兆しを見せているように私は感じます。(もしかすると、”廃れる兆し”というよりはすでに”廃れた”という過去形なのでしょうか)
このように、話し言葉には絶えず流動がつきもののようです。前置きが長くなりましたが、私は”書き言葉”にも流行というものがあって然るべきだと思います。
もっと踏み込んでいうならば、書き言葉の流行というものがあるということは厳然たる事実なのだと思うのです。
具体的に言えば、現代で使われる書体は楷書と簡単な行書だけです。屋号などでたまに草書や隷書、篆書を目にしますが、それはあくまでほんのわずかな特例であり、大多数は先ほどの二種類が大半を占めていると思います。
私は、この事実を踏まえ、書道の世界でもその事実を反映させていきたいと考えています。
そこで一つ問題になるのが、古典や古筆に対する捉え方です。これらは、楷書や行書で書かれているものもありますが、それ以外の書体で書かれているものも多数あります。
また、例え楷書・行書で書かれていたとしても、書かれている内容が漢文であることがほとんどなので、一字一字は理解出来ても、文章全体の内容は分からないことが多いはずです。
では、私は古典・古筆を否定するかというと、そんなことはありません。古典や古筆を習うこと(以降、臨書と書きます)と、現代の書道のスタイルは別ものと考えているのです。
臨書から学ぶべきものは、筆遣いなどの技術的な面もさることながら、一番大きいものは、「自分自身が変わること」ではないかと思うのです。
それは、『論語』や『古今和歌集』などを学ぶのと似ている気がします。これらの古典が書かれた時代と現代では、当然のことながら生活様式は変化し、様々な価値観も当時と同じではないでしょう。
しかし、それでも人の心を打つのは、古典を精読することで自分自身に変化が起きた、と捉えることが出来るからではないでしょうか。
書道における臨書というものは、ハードの面(文字)の変化というよりは、ソフトの面(自分自身の心)の変化を果たすものだと、最近は感じています。
古典・古筆にはもはや「流行り廃り」はありません。あるとすれば、それは人の心が移ろい行くだけです。
つまり、書道における現代性の獲得というのは、古典・古筆を学ぶことでのソフト面の変化を指すのではないでしょうか。
うまくまとめられていませんが、今回の文章は、結局のところ「古きを温め新しきを知る」という言葉で表現できるものだったかもしれません。

文字に求められるもの

私は、文字に求められるものというのは、「可読性」ではないかと思っています。
今、私がこうして文章を打ち込んでいる文字も、まず第一に正確に文字が読み取れることが大切になっていると思います。
例えば「ツ」と「シ」、カタカナの「カ」と、漢字の「力(ちから)」の違いを明確にすることが、文字には求められるのではないでしょうか。
(もっとも、今パソコンを前にしてカタカナの「カ」と漢字の「力(ちから)」を見ると、その差は非常に微妙な感じがしますが・・・)

Amazonギフト券はコンビニで簡単に購入できます

ネットでよく買い物をする人にとっては、Amazonはよく利用するショッピングサイトではないでしょうか。

そのAmazonで利用できるAmazonギフト券というのは非常に重宝がられるので、最近ではポイントサイトなどのポイント交換にAmazonギフト券が選べるところが多くなっていますね。

アマギフ(Amazonギフト券)を無料でゲットする方法

Amazonギフト券はプリペイド式なので、クレジットカードのように買いすぎてしまうこともなく、ネットショッピングでクレジットカードを使いたくない人やクレジットカードを持っていない人に根強い人気があります。

Amazonギフト券をプレゼントしたい場合、購入場所ってご存知ですか?
もらうことはあっても贈ることってない、という人にとって購入場所ってよくわかりませんよね。
Amazonギフト券はコンビニで手軽に買えてしまうんですよ。

5月。

ニコニコ動画で面白い生放送が放送されていましたが、
満席になった場合プレミアム会員にならないと追い出されてしまうんですね。
そんな訳で、1ヶ月間お試し感覚でプレミアム会員になりました。
一般会員よりもかなり利便性が増してこれからニコニコ動画を訪問することが多くなりそうです。
プレミアム会員を無料で継続する方法も紹介しておきます。無料でニコニコ動画のプレミアム会員になる方法

そんなわけで、もう5月になりますね、年齢が増えますよ歳をとったなぁという感覚は、
18歳くらいから体力的にも全く無いんですが、数字だけは確実に。

なんつーか昔と比べて、虫歯治療だけは確実に増えたような
疲れると、どーしても甘いお菓子が食べたくなって、止められないよ
食べ過ぎで翌日ますます疲れたような感じになるんですが。
最近、良く食べてるお菓子は明治のストロベリークラッカーなんですがうまい!うますぎる・・・なんかしらんが。

まあ・・・最近も歯が痛くなって死にそうな感じになったんでしばらくは控えようかなぁと思ってる次第ですが。

「公益通報者保護法」って役に立つの?

ここのところ、会う人会う人、JR西日本のスカタンぶりに憤っており、まるで時候の挨拶状態だ。「こんなんおかしい」と感じている従業員は少なからずいたはずだが? ・・・というので思い出したのが、「公益通報者保護法」。

企業の不法行為を告発した労働者を、解雇・減給などの不利益取扱いから守るための法律で、平成16年6月14日に成立し、平成18年4月1日から施行される。

ところが、通報の対象は、刑法・証券取引法など7法律(プラス政令で定めるもの)に規定する罪の「犯罪行為の事実」に限られている。会社の脱税を告発したって、この法律では関係なし。

また、通報先は企業の組織内部か監督官庁が原則で、証拠隠滅の恐れがあるなどの一定の要件をクリアしなければ、マスコミなど外部機関に通報しても保護されない。

・・・仮に今この法律が施行されているとしても、運賃をちょろまかした上司や同僚をチクることができるぐらいで、大事故に繋がるさまざまな要因に対しては、な~んの役にも立たんということだ。はぁ~。

 

ひょっとしたら「市民記者」?

JR乗務員に対する暴行などが、あちこちで起こっているらしい。「自業自得」の範囲を超えて、何だか寒々しいものを感じるなあ・・・と思っていたところ、今日はとんでもないものを目撃してしまった。

書類提出を終えて、JR京都線・普通電車の先頭車両に駆け込み乗車したところ、乗務員室の窓にへばりついている男がいる。風貌は鉄道オタクだが、趣味の世界に没頭しているわけではなく、どうやら運転士を監視しているらしい。

座席に腰掛けると、今度は目の前に首からカメラを提げた老人が。このカメラじいさん、進行方向に斜め座りし、停車・発車の度に立ち上がっては、鉄道オタクの背後からさらに状況をうかがっている。そのカメラは、オーバーランの証拠でも押さえるつもりなのか?

彼らは夜回り先生か、いや、ひょっとしたら市民記者かも。見ているこちらまで何やら落ち着かない気分で、こんなアホみたいなプレッシャーをかけられている運転士には、さすがに同情申し上げた。

・・・と殊勝な気分になった後で乗り換えた電車が延着、約束の時間に遅れかけたではないか。もう。

健康保険証を紛失したら?

社会保険事務所を通じて加入する健康保険(政府管掌健康保険)では、平成16年からカード式健康保険証に変わった。一人に1枚ずつ交付されるのが画期的で、国保加入の私は、いつも羨ましく思っている。

また、コンパクトなので携帯にも便利だが、その反面失くしやすい。身分証明になるものだけに、拾われて消費者金融にでも持って行かれたら、どえらいことだ。なのに、社会保険事務所からは普通郵便で送られてくる・・・というのは、いつぞや書いた。

さて、保険証を紛失した場合、まずは、「再交付申請書」に会社と被保険者本人(扶養家族が紛失したとしても)の印鑑を押して、社会保険事務所へ提出しなければならない。添付書類は特に必要ない。

あと、万が一に備えて、警察署へ「遺失届出書」を出すべきである。どこの警察署でも受け付けてもらえるが、もし落としたのであれば、落としたと思われる場所近辺の警察がいいようだ。届出書の様式は、警察のホームページからもダウンロードすることができる。届出書を出すと「受理番号」がもらえるので、いざという時は、それを証拠として戦わなければならない。

カード式健康保険証に変わった頃、社会保険事務所に対して「子どもが消費者金融へ持って行って借金した。どないしてくれる」といった苦情が結構あったそうだ。それこそ自己責任&躾の問題であろうが。